湯っこやのみなみさん。

吉原遊女ほのぼの見聞録

北海道・稚内〜利尻島の写真集 3rd Day

翌朝ゲストハウスの寝床から出て、沓形岬公園へ行ってみました。

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灯台と海のにおい


タフな雰囲気の花がたくさん咲いていてきれいでした。

エゾカンゾウ

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ハマナス

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チシマフウロ
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オオハナウドにとまるアブ
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もう1匹 シダクロスズメバチ

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右手の掴まり方がよいですね。

 

垂直分布の図(よくわからなかったです…)
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朝ごはんにさとう食堂を再訪し、4種類の海藻が入ったラーメンを食べました。

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ラーメンの後にPORTO COFFEE

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お店の方と直太朗さんの話題でちょっと盛り上がりつつ、利尻山がくっきり見られるタイミングって実はそんなに多くないんですよ、と教えてくださいました。

たしかにこの日は、昨日とは打ってかわって雨の降りだしそうな曇り空でした。

 

またパッソで移動、海辺を探検しながらリアルな海藻などが見られました。

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吉永小百合さん主演映画「北のカナリアたち」ロケ地らしいです。わたしは観ておりませんでしたが…。

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昆布の道具?
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コウリンタンポポ
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うに用の何か

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島の駅 海藻の里・利尻

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明治時代の海産物問屋の建物を利用しているそうです。
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ランチに昆布出汁入り焼きカレーをいただきました。

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お店の奥に骨董品が保存されています。

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自分用のお土産に、海藻押し葉のしおりを買いました。

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ここで防災無線から残念なお知らせが流れてきました。

雨天による視界不良のため、ANA利尻空港発・新千歳行きの飛行機が「欠航」と…。わたしが乗る予定だったヒコーキでした。

まぁ仕方あるまい、乗り継ぎ分(新千歳-成田)のチケット代は払戻しされないのでもったいないけれど…、そんなこともあるのです。

 

しおりを買ったレジのお姉さんとお話ししていたら心配してくださったので、「フェリーで稚内へ戻ってもう一泊して、そこから新千歳へ向かおうと思います」と伝えました。お姉さんから稚内のおいしいお店などの情報をいただき、感謝をして別れました。

 

フェリーターミナルへ向かう頃にはかなり雨足が強くなっていました。

 

レンタカー返却後、出航時間までは3時間あまり。フェリーターミナルの広々した待合スペースでお茶を啜りながらゆっくり過ごしました。

(予定通りなら新千歳空港でいろいろおいしいものを食べながらゆっくりするはずでした。あぁ。。)

 

一応ゆっくりするだけでもなくて、

稚内の宿泊先確保

・利尻-新千歳ANA便の払戻し手続き

・新千歳-成田Jetstarを改めて予約

稚内〜新千歳間の鉄道経路を調べる

上記のいろいろをオンラインにて済ませ夕刻の船に乗りました。

 

今回はここまでとしまして、次回は完結編です。稚内の夜と宗谷本線が出てきます。それなりにおたのしみに。

 

 

 

 

 

 

 

北海道・稚内〜利尻島の写真集 2nd Day

一夜明けてホテル周辺をお散歩

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フェリーで利尻島へ渡ります。

さよなら稚内

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船室から出るとなかなかの寒さで、裏付きのテーラードジャケットの上にダウンを着込んでちょうどいいくらいでした。
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島が見えて嬉しくなりたくさん撮影。
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かわいいサギ警鐘ポスター

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おかげさまで無事島へ上陸できました。

朝食抜きでお腹がすいていたので、さとう食堂さんでウニ丼しました。写っていませんが小鉢に付いていた利尻昆布の手作り佃煮がとてもおいしかったです。

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トヨタレンタカーでパッソを借りました。

スタッフの方がとっても親切で助かりました!
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利尻山の登山口へ。まだ雪解け時期のため、登れるのは3〜4合目くらいまでです(そもそも登頂するほどのスケジュールと諸々準備が足りず)。
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3合目にある「甘露泉水」という甘みのあるおいしい湧き水を掬って飲みました。
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パッソへ戻り、姫沼へ移動。
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オタトマリ沼へ移動します。道路反射材の梟(木菟?)モチーフが素敵です。
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帆立とアスパラのバター焼きを食べました。北海道感があります。
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オタトマリ沼から望む利尻山
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うみねこがたくさんいました。
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浜辺に謎の足跡を発見
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2泊目は「ゲストハウス1721」にチェックインです。ほぼ寝床のみのパーソナルスペースですがとても良い雰囲気のお宿です。
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今回の旅のメインイベント、森山直太朗さんのコンサートへ。老若男女が集い和やかな会場でした。直太朗さんのライブは初めてだったのですが、「どこもかしこも駐車場」という曲がいちばん盛りあがっていた気がします。アンコールをやらないスタイルらしいです。
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セトリ↑

わたしは「金色の空」がとても好きです。

 

宿へ戻ると薪ストーブのぬくもり
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夕飯を食べるところが見つからず、オタトマリ沼のお土産屋さんで買った昆布の加工品(おいしい)とお茶でしのぎました。
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3日目に続きます。

北海道・稚内〜利尻島の写真集 1st Day

昨年6月、かねてより興味のあった利尻島へ一人旅をしました。

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以前道民の方から地元居酒屋の食べ物(塩辛とか)がとてもおいしくて風景が綺麗とのうわさを聞いていたのと、森山直太朗さんの全国ツアーで利尻公演があったのとで(おもしろそう)、動機が2つ重なったこのタイミングで行ってみることに決めました。

 

まずは成田空港の駐車場(自宅から15分)に車を停め、Jetstarで新千歳空港へ→ANA稚内空港

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稚内の民家の裏で雑草を食むエゾシカさんに出会いびつくり。
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寿司竜(すしたつ)さんで夜ごはん。いまは閉業してしまったようです…。
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温泉のあるTRUNK WAKKANAIへ宿泊
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ロビーのかわいい置物
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稚内の温泉、うっすらとろみのある良い湯っこでリラックスできましたよ。

2日目へ続きます。

 

 

 

おうちの床を作りました

床張りの日々

おまたせしました。古民家リノベーションの件、また現場からお送りします。

今回はLDKスペースの内装工事のお話です。

床材はベッドルームと同様、コストダウンと汚れ対策などを鑑み、木質フローリングではなく塩化ビニル製のフロアタイルを採用しました。

先に仕上がったところをお見せします!

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ここにひとり(と猫一匹)で住んでいるわけなのですが、

自分が住むだけでなく将来的に何かコミュニティに利用できる場所づくりを想定していて、

「田舎に慣れていない女性が訪れても、快適かつワクワク感をもって楽しんでもらえるレベル・クオリティを擁した空間を作ろう」

とイメージして、取り組んでいました。

 

サンゲツのフロアタイル

木目調タイルでも膨大な種類があり、こちらはベッドルームで採用したものとは別の濃色系にしてみました。サンゲツのカタログより、こちらを選定。

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塩ビ製で強度はありますが、持つとぺにょんとしていてカッターナイフで簡単にカットできます。

 
自分でタイルを貼ることに

業者との打合せのさい、床材を貼る作業を施主自身で行うと20万円ほどコストダウンになるとの提案がありました。二つ返事で「やります」ということで、チャレンジしました!

最初にやり方を教えていただいてから、あとはひとりで黙々と。

作業フローは以下のような感じです。

①まずはタイルを並べます。「馬貼り」といって、タイルの半分の長さでずらして配置します。壁際の半端な分量はカッターで切り落としています。

注)本来は真ん中から端へ順番にやるのがセオリーなのですが、諸事情により大工さんの下地施工を追う格好になり、便宜上部屋の端からタイルを貼っています。

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②60cmくらいの奥行きで(手を伸ばして届くくらい)並べたら、ペンで定規の線を引くようにタイルに沿って印をつけます。

③タイルを並べた順が崩れないように、いったん貼る位置から外してまとめて置き、ペンで引いた印に沿って下地にボンドを塗ります。

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④ボンドが半乾きになるまで20〜30分放置後、先程のタイルを同じ配置で並べ直し、しっかり貼り付けます。

タイルの間からはみ出すボンドは厚手のキッチンペーパーを濡らしたもので拭き取ります。

①→④の工程を繰り返して貼っていきます。

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木目柄があるので、偏らないよう配置しています。

途中微妙な歪みに気付き「失敗やらかした…?」と

孤軍奮闘で焦り・脱力し・泣きべそ気味になりながら、なんとか畳み掛けて進み…。

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5時間くらいの作業で下地の境目まで追いつき一区切りです。着ていた服はボンドだらけになりました。

建具や柱に当たる部分は定規とカッターでカットして貼っています。

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壁際や柱の際はこのように後から巾木がつくので、多少雑でもだいじょうぶ。

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終盤はクロス(壁紙)屋さんと同時に作業しました。

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クロス屋さんの職人技作業を見学しながらの、床張り完了!!やったー!

柄の感じがちょっと古臭さのある、キレイすぎない感じで狙い通りでした!

この後付く塗り風のクロスや照明、建具も然りですが、古民家とのミスマッチを軽減して古さを生かせるよう、「キレイすぎないレトロな雰囲気」を目指して作りました。

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こちらの廊下〜玄関の床も同じタイルですが、室内ドアに干渉する部分が難しいから、とのことで、ここは内装屋さんがしっかり貼ってくださいました。

 

いろんな建材の特徴、メリットデメリットもだいぶ語れるようになりましたが…(笑)。

そのへんはまたの機会に書きますね。

 

ではまた!

 

浅草ひさご通り・フルーツパーラーゴトーさん

吉原から雷門・観音さま方面へ向かうさい、ひさご通り商店街というところを通過することが多いです。

下町的な風情を醸すお店やさんが並ぶ中、シンプルながらさりげなく異彩を放つコンクリートの建物。

看板を見てみると「FRUIT PARLOR GOTO」

ゴトーさんのフルーツパーラー。いつも夜8時過ぎに前を通ると店じまいの作業をされているのが大きなガラス越しに見えて、気になっていたのでした。

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キツネのスウェットで訪問

 

ある日の打合せ帰り、昼間の浅草へ行けたので「今だ…!」とばかり、行ってみることに。

平日のお昼どき、運良くすぐにお店に入ることができました!通常は店頭のウエイティングリストに記帳して順番を待つことが多いようです。

おしゃれカフェのようなお店構えですが、じつは1946年の開店からご家族で運営されているそうです。

キッチンゾーンをお兄さんお姉さん(ご夫婦かごきょうだいかな?)、座席の案内やお会計を優しそうなおばあちゃんが担当されていました。

なんとなく老舗果物屋さんのお家へ遊びに行ったみたいな、ふわっとした居心地の良さがあります。

 

初めて伺ったのでおすすめの「本日のフルーツパフェ」を作っていただきました。綺麗ですねぇ。

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混じりっけのない、フレッシュフルーツとクリーム、アイスクリームでできたパフェです。グラスの底の方に、凍らせた柿のペーストが仕込んであります。

果物屋さんによる果物へのリスペクトが伝わるような、優しく美しい様相を呈しています。

 

とは言いつつ、わたくし近年パフェという食べ物を避けていました。

なぜかというとね、口に運ぶとあの色々な各層の味と食感の混ざり具合に微妙なミスマッチを感じることが多かったのです。見た目美味しそうでつい手を出すものの、「やめときゃよかった‥」となるケースを数回経験しました(ごめんなさい)。

 

いっぽうゴトーさんのパフェは前述のとおり混じりっけなく、余計なものを削ぎ落としてつくられた、見た目も味も幸せなグラス、素晴らしかったです!

ご家族みなさま元気で末長く続いてほしいお店です。

Instagram

https://www.instagram.com/gotofruit/

食べログ

 

 

もうひとつ、パフェ嫌いのわたしの認める(何目線だろう笑)貴重な逸品は浦安の純喫茶で作られているのですが、そのお話はまたの機会に。

 

だがしかし1月末のパフェはちょっと寒かったな…。ああ、それでちょうど混んでなかったのか…。

これから一層おいしい季節ですねぇ。

 

通りのお隣にある浅草九劇とは何ぞやと思い調べてみたら、劇場とホテルの複合施設なのだそうでなかなか興味深いです…!

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そういえば、今度一緒にまいりましょうかね?ご都合つきそうでしたらご連絡をくださいね。

それではまた。

 

 

 

 

 

 

3月10日「東京都平和の日」によせて②

前回の続きになります。

前回の記事はこちらから↓

お花見はじまってますね。

近所の方も、いろんな国から来た人も、みんなニコニコ楽しそうでほっこりします。

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この前少し説明をしました、隅田公園の上にかかる言問橋

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西岸は台東区・浅草の街へ、東岸は墨田区向島スカイツリーの押上、その先は本所〜錦糸町方面へとつながっています。

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1945年3月10日の猛烈な爆撃のさい、両岸で逃げ惑う人びとが「川の向こうへ行けば助かる」と、双方から言問橋へ向かったそうです。

しかしすでにどちらの地区も激しい炎、爆発に街がのまれているような状況でした。

みんな橋の上で進むことも戻ることもできず、そこへまた、頭上を飛ぶ戦闘機からびっしりと凶器が降り注ぎ、たくさんの人が焼き殺されてしまいました。

川へ落下したり飛びこむ人も多くいましたが、呼吸をしようと水面から顔を出した途端に熱風を吸い込んで亡くなるケースが多かったらしいのだと、吉原至近の老舗街中華に行ったときマスターが語っていました。あえて川へ向かわずに避難した人が生き残った、と。

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1992年に橋の改修工事が行われましたが、両端の親柱は1928年の竣工当時のまま、いまも現役でがっしりした支えのようになっています。

そして、知ってしまうととてもつらく悲しいことですが…。

親柱が黒っぽくなっているのは、爆撃の火災の跡や、人の血や脂が黒く焦げついた跡なのだそうです。痛ましい過去をほんの少し可視化して、そっと伝えてくれているようにも見えます。

明治神宮表参道の交差点にある灯篭の根元の部分も、同様の跡が遺されています。

首都高を錦糸町インターで降りて吉原へ向かう途中に言問橋をのそのそ渡るのですが、色々とわかってからは、ちょっと泣いてしまいます…。

 

いったいなぜこういったジェノサイドが起きてしまったのか?というと、現状調べた限りでは

⚫︎戦時相手国(USA)の、当時の日本国内攻撃を指揮する担当者として、比較的非人道的な方針の人物が担ってしまっていた

⚫︎市街地に交じる軍事拠点を精密的に狙撃する技術がなく、まるごと焼き尽くすような作戦になってしまった

⚫︎USA軍が日本の木造家屋と人を焼きたくて仕方なかったらしい

⚫︎黄色人種に対する差別意識

と、かなり大雑把ではありますが、上記のような感じでした。引き続き知っていけたらと思っています。

 

いまも遠いところでは戦争が続いていて、人類の業として争いを無くすのは難しいのかなと感じています。軍事関連の職業についている方々の生活も維持されなくてはなりません。

しかし痛いことはやはり良くないので、少なくとも物理的な対人暴力・殺傷行為は無くす方向に舵を切ってもよいのではないかな…と強く思います。

鍵となるのは「戦場の無人化」とわたしは考えています。

現代ではさまざまな仕事が無人化されていて、軍事におけるAIの活用も始まってきていますね。

AIが人間を傷つけてしまうと何の意味もないのですけど、AI同士が戦うならばかなりベターな未来ではないでしょうか。

メタバースの軍事利用も望ましいのではないかと思います。専門外ゆえ現状多くは語れないのですが…。

仮想空間を「主戦場」とすることで人的被害がなくなり、大幅なコストダウン、リソースの節約と有効活用が期待できる、というメリットはありそうですね。

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最後にわたし個人として思うこと、できそうなことをお伝えしますね。

わたしはこの3年ほど吉原へ通ってお世話になり、ずいぶん助けていただいて、良い記憶をたくさん重ねることができました。

出会った人、猫、かっぱ橋、かんのんさまとお稲荷のキツネ、街角の喫茶店、ハンバーグに街中華、築年数がすごそうな路地裏の建物、民家で謎の増殖を続けるアロエ…、

このような下町のあれこれがわたしは大好きになりました。

おだやかな場所を微力ながら守っていくために。自分の周りから、半径5mでも1mでもよいので少しでも平和にしよう、といまは決めています。

具体的には「目の前の向き合った相手を最大限尊重し大切にする」ということになります。

ごく当たり前のようですが、自分の過去を振り返ると実はできていない場面も多くて、案外意識していないと忘れてしまってました。

飲食サービスの業界で著名な、(株)HUGE 新川義弘代表がご本人のYouTubeチャンネルで仰っていたのですが、人に安心してもらう方法のひとつとして

「まっすぐに見据え、最高の笑顔で、抱きしめる」

これはほとんどの人が生まれてきた時にしてもらっていることだから、とのことでした。

 

幸いわたしは、これが心おきなくできる場所にいられて、良かったです。まぁやらせていただけるうちは、ですが…。

なにか気長に温かいものを手渡していけたらと思っております。

 

今回は明るいばかりではないテーマでしたが、見にきてくださり感謝です。

お会いできる日を楽しみにしています。

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3月10日「東京都平和の日」によせて①

東北の田舎から出てきて吉原へ通うようになり、日々東京下町を駆けまわる中ではじめて知った歴史がありました。

センシティブな問題をはらみつつも忘れられてはいけないことのような気がしたので、少しずつお伝えしてみたいと思います。

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ふだんは夜の散歩が多いのですが、3月10日は日中時間をつくり、桜の咲きはじめた隅田公園言問橋周辺を歩いてみることにしました。

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空が高く澄んで、老若男女、国籍もさまざまな人が楽しそうに行き交い、微笑ましい春の日です。

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東京スカイツリーを目前に望む、隅田川にかかる言問橋(ことといはし)

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美しい響きの名前は、平安時代在原業平が詠んだ和歌が関係しているといわれています。

※他にも諸説有力なものがあるそうです

「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」

京都から遥か東へ旅してきたものの、残してきた恋人が気掛かりで、通りすがりの鳥(ユリカモメ)に尋ねているという歌とのことですが…。

ユリカモメ「えっ」

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東京の痛ましい過去について、昨年はじめて知り驚きと衝撃をうけた事柄があります。

78年前、敗戦の近づく首都東京はとりわけ激しい攻撃を受け、3月10日に最大規模の作戦が実行されたそうです。ゲル状のガソリンを詰めた凶器がほぼ隙間なく、市街地へ向け投下されました。

2〜3時間のあいだに10万人以上が爆発炎上により激しい苦痛を伴って殺され、15万人ほどがやはり強い痛みや大火傷、大怪我に苦しみました。

あまりにも短時間で、そしてあまりにもたくさんの人(おそらくいっしょに暮らしていた犬や猫や鳥も)が生きたまま焼かれてしまったということに、わたしは大きなショックを禁じ得ませんでした。

当時の警視庁カメラマンの石川光陽氏が被害状況を記録撮影し、戦後極秘に保存されていた写真も見ました。

たくさんの表情があったはずの人たちが白く冷たくなって無言のまま横たわり、また別の人たちは黒焦げのよくわからない塊のようになって、面影をすっかり消されてしまっていました。

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焼け跡に残された人たち、とくに保護者不在となったこどもさんは上野駅などでかろうじて雨風をしのぎ、小さな子が毎日数人ずつ、衰弱して死んでいくという状況が続いていたそうです。

誰にも言えないような局面を越えて、心と体に大きな傷を抱えたまま、長年負い目のように感じているかたも少なくないようです。本人はなにも悪くないはずなのにもかかわらず…。

それでも生きのびて、命をつないできた人びとは、あまり知られていないかもしれないけれど、とても大切な存在なのだと思います。

なお、軍人ではない民間人への戦後補償は現在も無いままです。

 

つづきは、次の記事に書きます。